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第76回  子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら

〇学校に行きたくないと言ったら

子どもが学校に行きたくないと言ったら、どうしますか?

とてもデリケートな問題で一概に「こうしたらいいよ」という正解はありません。

“不登校”になったら他の道を探せばいいと言いますが、才能がある人もいれば平凡な人もいます。“不登校から有名になった人”がよく列挙されていますが、不登校の人数から見れば、列挙できる程度しかいないのだとも考えられます。才能を開花させて、そのうえで生業にできるほどに稼げる人はごく一部です。才能を開花できても、収入が得られなければご飯を食べていけません。起業できる人もごく一部で、企業までこぎつけて、その会社を維持し続けていけるのは、またごく一部の人です。有名になれたり、成功をおさめることができるのはその中のごくごくごく一部で、宝くじのようなものです。自分だけは当たるかもと思って購入する宝くじ。

“あなたは数億円を手に入れるかも”と全面的に宣伝し、その数億円を手にできる人の影でものすごい人数の人が「あー当たらなかった!!買わなきゃよかった宝くじ」と嘆いているのも現実です。当たったら奇跡の強運と同じで、自分の子だけは特別かもしれません。当たらなかったときに「運が悪かったね、たまたま当たらなかっただけだよ」とは人は言いません。「そんなもんだよ、当たらなくて普通だよ」とほとんどの人がいうように、自分の子は普通かもしれない。多くは望まない、高望みしないと人は言います。数千円。もしも数万円でも当たれば「すご~い!!」と言ってもらえます。欲のない、ささやかな程度しか望まなくても、それを手に入れられる人も、普通よりうんと少ない確率です。

自分の人生なら一世一代の大勝負もいいでしょう。ですが、自分自身の人生ではなく子どもの人生をかけるとなると慎重になって当然です。頑張るのは自分でなく子どもですから、自分は頑張れても、まだ人生経験の少ない子どもが、舗装された道から、まだ未開拓な道を自分で探し当て自分で切り開き、一人で歩いていけるでしょうか。手を引いてあげるとして、いつまで親は一緒に歩いてあげられるのでしょうか。年老いていくのに。

〇今だけをみて未来を失ってはいけないし、未来だけをみて今を見失ってもいけない

今と未来をみることで、人生のバランスがはかれる

不登校の子を学校に行かせようとする家族は普通です。

そういった現実を分かっていて、不安を感じ取っているからこそ、心配して「学校に行きなさい」と言います。子どもの気持ちを分かっていないわけじゃなく、今を見ているか未来を見ているかだけの違いなのに、“世間体を気にしている親”という最近のレッテル張りに足を引っ張られてしまいます。まるで逆差別のような言葉が胸に突き刺さります。“子どもを信じなさい”という言葉に“あなたは子どもを信じていない親”と言われているようで責められ、子どもは“自分の人生の責任に関しては直接関係のないところで“今”だけをみて自分を擁護してくれる第三者を信頼し、“本当に自分の人生の責任を一緒に背負って考えてくれている親”に対して不信感をもつこともあります。子どもの目の前で「お子さんを信じてあげて下さい。お子さんの好きなようにさせてあげて下さい」と言うなんてあまりにも無責任です。

自分は子どもにとっても親にとっても一時的には救世主になれるかもしれませんが、親子関係にヒビを入れ、親の信用を失わせ、その後、永遠と森の中でさまよわせてしまいます。

頃合いを見て、出口を案内してくれるのなら、本当の救世主だと思いますが。

“信じる”は美しそうな言葉ですが、“期待する”というエゴも入っています。エゴだけで子どもの人生の賭けに出て、“現実から目をそらして夢を見る”ことはできません。選択肢がなければ、そこに一か八かの賭けをして、逆転劇や返り咲きを夢見て“ただただ見守る”“勉強しろと言わない”ができますが、何の根拠もない未来の成功を待つことがどんなに不安で恐ろしいことか、そんなことは普通です。

なぜなら、何年かかけて今から学校を行かずにストレスフリーで過ごし、出来上がった人格で、未来に自分で生活をせねばなりません。人人人、人で成り立つ社会で結局は行きます。

人は、人に接触せずに生きることなんてできません。しかし、ストレス耐性をつけてこなかったことが問題となったときに後悔してももう戻ることはできません。

なんの手助けをしてもらえることもなく、苦しみ続けて学校に行かせられる子どもは不幸ですが、大人のサポートがある中でなら、子どもが苦難を乗り越えるのはとても大切なことで長い目で見て子どもにとって幸せなことです。据え膳至れり尽くせりではなく子ども自身が、一番努力しなければいけないのはそれもまた普通のことです。

「不登校で良かった、だからこんなことができた」と幸せを語る人が有名になるのはそういう人がわずかしかいないからです。そういうひとばかりでそれが“よくある一般的なこと”だったら、とっくに不登校はテーマになりません。不登校の行く末がたくさん問題にもなっています。ある不登校の会で学校以外の子どもの居場所づくりを広げ、全国的に講演など活躍をされていた当事者の方が講演先で私に内緒話で本音を漏らしていました。

「あれから10年経ってね、私も子どもたちも会員もそのときはみんなでバーベキューしたり、バス旅行で交流したりしてとても充実して楽しかったんだけどね、子どもたちが大きくなって、子どもたちが学生じゃなくなったら、もう支援がないのよね。大人になっちゃったら誰も助けてくれない。大人になっていい年してても一人でジュースも買えない、出かけられない、バスにも乗れない・・そんな子があふれちゃったのよ。誰もそんな子、雇ってくれないし。働かせてくれるってったってねぇ体のいい、ただ働きのお手伝いか“ごっこ”でしょう。しかもそれさえも続かない・・問題を先送りにしただけなのよね。あの時水野さんに頼んでおけば・・」とため息を漏らしてみえました。

〇子どもの気持ちに寄り添っているつもりの“学校に行かなくてはならないのか?”の議論

教育を受けさせることは大人の義務ですが、学校に行かせることは決して義務ではありません。また、日本の法律に、子どもの義務はありません。だから、子どもが学校に行かなくてはならないという義務もありません。

 いつも、この部分だけが議論されますが、子どもの気持ちはどうなのでしょう。

お友達と楽しく遊べるなら、時々けんかしたって学校に行きたいんじゃないかと思います。

人といるのが苦痛、だけど、勉強中だけの距離感のある付き合いで許されるなら、学校に行ってもいいと言う子もいます。

もしも、勉強は楽しくないにしても、無理やり、そして恐ろしく勉強をさせられないのであれば勉強が必要なことも知っているし、勉強が好きじゃなくても得意であれば、“しなくていいよ”と大人に言われても、“やっぱりしておこう”と思うのです。

好きな教科だけで良かったら、それだけでも学校に行こうと思うかもしれません。

人間関係や勉強で恥をかかなければ、独りぼっちにならなければ、0点でも許されたら、学校に行こうと思うかもしれません。

ここに並べて書いているのはすべて、子どもたちが話してくれた言葉です。

ですが、大人と同じで、それは、冷静になったときに思うことであり、大人が「もうこんな会社辞めてやるー!!」とか、「もう、別れてやるー!」とか、「死んでやるー!」と、辛いとき、悲しいときに、感情的になって、叫びたくなってしまうのと同じで、「行きたくない!」と思ったときはその事で頭がいっぱいになってしまって、いろんなことを言い、学校を休むことを許可してもらおうとします。

でも、すぐにそんなわけにはいかなくて、少し、時間が経ち、落ち着いて冷静になると、 “もうちょっと、頑張ってみようかな”と思います。これが闇期軽度の状態。

「もういやだ、もういやだ!やっぱり無理!」と決意するような気持ちになります。でも心のどこかに“不安”がよぎり、“そうしたくないこともない・・なんとかなるならなぁ・・”という気持ちもほんの少しあって、決意が心のどこかに引っ掛かります。すると、少しまた落ち着いてきて冷静になって、未来を想像し、今の状況や改善策を模索して、あるいは人の励ましや、支援を得て、“もう少し、踏ん張ってみよう・・かな・・”となります。これが、闇期中度の状態。

でも、どんな改善策も講じられず、うまくいかず、心の闇が病みになったとき、“限界だよ・・・”となります。これが闇の重度の状態です。

この重度になったときに、もう本人は心の中の栄養がカラカラの状態ですから、とりあえず、その環境から脱出することが必要で、手遅れとなる前に本人を強く説得してでも周りが救い出さなくてはいけません。

また戻ってこれる方法をとるのか、二度と戻れない方法をとるのかによって、その脱出方法が、変わってきます。未来を考えたときに、その環境が本人のプラスであるのなら、心の栄養を満タンにした状態でまた戻ってきて再スタートを切るチャンスを残すために、“休職”、“別居”“休養”といった、戻ってこない選択肢を保留としますし、プラスにならないとの判断であれば、“退職”“離婚”“療養”となります。

子どもにとって、“学校”はとても大きなところです。一生懸命にたくさんの大人たちが子どものために考えた学びが用意されており、経験や体験に溢れています。複雑な人間関係も経験し、協調性を学びます。大人になって振り返ったときの豊富な過去にもなります。

歌にあります。

「あんなこと、こんなこと、あったでしょう~うれしかったこと、おもしろかったこと~いつになってもわすれない・・・」

決して、いいことばかりではありません。すごく嫌なことも悔しいことも、悲しいことも恥ずかしいことも、あります。でも、そこから我慢と処世術と、ときには“諦める”という大切なことも学びます。「方程式学んで何になるの?」ということではないのです。

自分の思い通りにはいかない、人は自分の期待通りに動いてはくれない、賢く生きなければいけない、いつまでも、無邪気なままでは生きられないことも悟り、大人になっていきます。

嫌な思い出ばかりだからいらない、というわけではないのです。

余談ですが、親の転勤の都合で引っ越しばかりをしていた人が大人になったときに「自分の過去を知っている人が欲しい」と言っていました。

学校に通っていたからこそ、本人もいまだに気づかぬところで得たものがあると思います。

人間は、理屈で“あの経験をしたから今、こういう行動をしているんだなぁ”と一挙手一投足のひとつひとつの行動に意味づけをして理解して生きてはいません。理解しているものもあれば理解できていないものもあります。人の行動にはすべて体験や経験が元になっています。嫌な経験から今に生きているもの身を守っているものもたくさんあります。気が付いていないだけなのです。

子どもには経験と体験がいります。なくても生きていけるけど、あったほうがいい。

子どもが「学校に行きたくない」といったときは、子どもの人生を背負っていて、大人の決断次第で子どもの未来を大きく変えてしまう責任感を持って、向き合わねばなりません。

代替案も持たずに世間の風潮に流されてはいけない、我が子の状態を見て、判断するのがベストです。

100人が学校に行かないほうが良いと判断されていても、我が子には合わないかもしれない、100人が学校に行った方が良いと判断されても、我が子には、合わないかもしれない、そのために、“子どもがいじめに遭っていると感じたら”の話の聞き方も参考に、子どもの話を聞いてみて下さい。

子どもが学校に行きたくないと言い出したらの結論は、『そのときの状況とその子どもによる』です。

①子ども「学校に行きたくない」ママ「うん、そうなの?じゃあ、ちょっと、こっち来て、座って」とさらっという。(朝の場合は、学校を休ませることになるかもしれなくても聞く。できれば仕事も休むことになってでも落ち着いて聞く。無理ならとりあえず、帰ってきてから聞く)

②朝で聞けない場合

原因が人間関係のコジレなどでなく、ママが深刻でないと判断したなら「わかった。じゃあ、帰ってから聞かせて。そして明日、どうするか考えよう」と楽しく明るくそしてその日は学校に送り出す 少しだけ甘えを許して、送ってあげるのもあり。

少し顔色が悪い場合

「わかった。じゃあ、なぜだか教えて。」と言い、いじめ関連など中度の印象を感じるのであれば「わかった。じゃあ、今日は家で、〇〇と〇〇しておいて」などの過ごし方を与える。

〇子どもの話を聞く時間と場所を確保する。必ず二人きりで。

朝聞けなかったとき「今朝は急いでて、ちゃんと話を聞けなくてごめんね」という。

「はい、さぁ、いいよ。教えて」と優しく明るく言う。そして話の聞き方や、「いじめに遭っていると感じたら」の話の聞き方を参考に聞いていく。

軽度だと判断し、例えばマラソンが嫌だから行かないと言っている場合など、「そう!それは嫌だよねぇ!?で、今日はマラソンどうしたの?」と聞いて、「イヤイヤ走った」などと答えたら、「そう!えらいねぇよく頑張ったよ!」と褒めてたくさん話をさせてあげる。

そしていい気持ちにさせてあげます。

最終的に「で、明日休んでもいい?」と聞いて来たら、「ううん、休まないよ!」と笑ってたくさんいい子いい子をしてあげます。気分が良くなって翌日はご機嫌なはずです。

しばらく、毎日、たっぷりかかわってあげて下さい。すると、言わなくなってきます。

もしも、「行きたくない」を言った時だけ、話を聞いたり抱きしめたりしていると、不登校に背中を押しているようなことになってしまいます。

学校から帰ってきたら、「おかえり~!」から始まって、楽しい気分をたくさん味合わせてあげて下さい。たとえば、「学校でいっぱい勉強して、学校でいっぱい遊んできて本当に偉いよね!一緒にバナナジュース作ってのもう!」など、“学校に行ってきたからいいことあった”を印象付けて下さい。ですが、絶対に「学校行ったからご褒美に」と言ってはいけません。ご褒美は絶対になしです。

『学校に行くのは当たり前。だけどその当たり前のことを当たり前のようにしてくれることがとてもありがたい』当たり前に褒美はとらせませんが、当たり前に心から感謝と敬意を表します。

☆最初に整理しなくてはいけないこと

①その日、子どもはどうして学校に行きたくないと言ったのか

1・友達と席を離れたからなどの残念、がっかり、ひとり

2・友達と喧嘩したから 人間関係での怖い・不安

3・勉強で充てられるから 恥をかくから・笑われるから・自信がないから

4・授業内容 疲れるから・面倒だから・嫌いだから

5・お昼ごはん 残せないから・嫌いなものが食べられないから

6・移動教室やグループ分け 一人ぼっちが怖いから・恥ずかしいから

7・休み時間 どう過ごしていいかわからないから

8・友達が嫌い・許せない 喧嘩をしているわけじゃないけど友達に批判がある

9・登下校 行帰りの友達関係に問題がある

10・先生 怖い・気持ち悪い・変なことをしてくる

11・体調不良 下痢が怖い・先生に言えない

12・家でママといたい

13・なぜだか自分でもわからない

②時期と頻度

1・初めて

2・何年も前からからほんとにたまに

3・4月以降から

4・最近

③状態 我が子の現在の様子 現在と以前を比べる

1・普通 前と変わらない

2・以前より少しだけ違う

3・前と違う

④我が子の性格

1・普通

2・控えめ

3・活発

⑤我が子の持って生まれた性質

1・繊細

2・気難しい

3・鈍感

4・おおらか

④我が子にとっての家庭環境

1・いごこちがいい

2・普通

3・居心地が悪い

4・心配

5・わからない

とりあえず、ここまでを考えて、

1・休ませない

2・一日だけ休ませる

3・3日だけ休ませる

を考えます。

この休んでいる間に次どうするかを考えていきます。

性質的に繊細すぎる神経質な子どもには特別に休ませることが必要だと思わない内容であっても、休ませることが必要なこともあるかもしれません。

そうなると心配なのは、休むことへの慣れです。

親次第であると子どもも頑張ることよりも、親に許可させることを意識し、押し切ろうとしてくるかもしれませんからこの場合、チケット制を考えても良いかもしれません。

褒められたことではありませんが、例えば、『自宅学習券』なるものを年間3枚発行し、一年限り有効として、渡します。前提として、病気でなくても使えるチケットですが、体調不良は「病院でお医者さんに診断されない限りは、病院に行ってからは学校ね」ということにしておきます。

チケットの裏には「理由を書く欄」を作っておくといいと思います。

渡されたら、質問は別の機会にして、あっさり、受け取って、原則は学校の予定通りでその日のどう過ごすかを相談するといいと思います。

休むチケットがあると、もったいなくてなかなか使えず、慎重になるものです。

子どもの性格に合わせて考えてみて下さい。繊細過ぎる子には月一回などでもいいと思いますが、だからといって、1年有効で12枚渡すのはあまり良いとは思えません。

お休みをするハードルが下がってしまいます。

繊細過ぎる子で子どもの性格へのアプローチや環境整備なども試してみた結果、それでも子どもにとっての精神的負担が大きすぎて、学校に行かせることのデメリットが大幅にうわ回ってしまうときには、下記の⑤~⑩を真剣に検討して見極め、総合的判断すること必要になります。

⑤我が子へのサポート体制の有無

⑥我が子の学校の代替案

⑦我が子の利益と損失

⑧我が子の意思

⑨我が子の想定される未来

⑩自身の想像する未来の気持ち

〇安易に不登校を選択してはいけない

~軽度のとき~

学校は夢の国ではありません。「面倒だ」「疲れる」「あれが嫌、これが嫌」と思うことがあっても普通です。

それを深刻に受け止め、子どもの個性だと、“理解”し、宝の山である学校に行かせることをしなければ、宝を手に入れ損ねる子どものサボサボ人生がスタートします。行ったり行かなかったりを繰り返し、気の向くまま、行きたい気分のときは行く、行きたくない気分のときは行かない、家でゴロゴロ・・がいいわけないです。心身ともに健康な子どもに “休む”必要なんて一日たりともありません。

子どもの未来の人間像を想像してみて下さい。

子どもも、おじさんおばさんになるのです。好きなときに好きなことをする、したくないことはしないは、人生をもう、充分に生きてきたおじいさんおばあさんになってから得られる特権です。

ですが、・・その子の人生の責任は誰にもとれませんし、誰もとってはくれません。あなた、アドバイスをしたじゃないと責めることもできません。その子を育てるのも未来に責任を取ることになるのも、大人になったその子と大人になったその子の親ですから、軽度であっても、最終判断はしっかりとその子の家族で考えます。

~中度のとき~

学校に行っていれば、学校の中でも外でも、いろいろとストレスを浴びることは多くなってきます。行動範囲と並行してストレスリスクは高まります。

勉強のこと、運動のこと、身体的なこと、人間関係のこと・・・。

「勉強についていけない」「運動が苦手」「コンプレックス」「人間関係のこじれ」「コミュニケーションの不器用さ」などです。

「そんなことくらい生きてたらあるさ」と言われても本人にとっては、深刻です。心の傷が深くなっていきます。そんなときは、まず、サポートです。悩んでいる問題を“そこそこ”までできるように集中練習をします。楽しく愉快に友達ではないですが友達の役割もしながら毎日に針を持たせるように接します。伴走するイメージです。

それでも、学校そのものがその楽しさで頑張り切れない状態なら、一度、短期間休ませてあげるのもいいと思います。一日行って翌日は行くと言う感じで完全に休むことをさせないようにつとめます。いじめについては、とりあえず、ヒソヒソ話なども含めた嫌がらせが完全になくなるまでは休ませてあげたいですね。また、仲良くなれなくても、大人がついていて孤独でないことを確保できるようにしてあげたいです。一人ぼっちは寂しいのはもちろんですが、子ども心に一人でいることは自尊心がひどく削がれていくほどに恥ずかしいのです。

これが中度の段階です。

~重度のとき~

完全に行かさないほうがいいパターンは本人の能力と特性による性格が著しく適応できずにひどく苦痛を伴うことが想像できるときと、移動教室や休み時間など、みんながひとりでいるわけではないとき以外の時間に常に一緒にいてあげることが確約できないときのいじめです。悪口も含めた嫌がらせなどの危害がなければいいわけではありません。

無視も立派な、子どもの存在価値を否定するいじめです。気持ちよく「問題ない!そうしよう!」と言ってあげて、その日から翌日の予定と今後の見通しなど、1カ月分のプランを立てましょう。

こどもであっても、先が見えないのはとても不安です。一カ月ずつ、予定を立てます。この時の子どもに大事なのは、『学校に行かなくても、学校と同等かそれ以上の誇りを持てる生活をしている』という自負を持てる毎日の過ごし方を“自分で決めた”という自信をもたせること、そしてそれを達成させていってあげる、ママの意思の強さです。

子どもの能力が学校にいることよりも学校外での環境のほうがより有意義である子や、特性により、ストレスが高くなりすぎてしまう子もいれば、子どもの意思に反して学校の中で子どもを排除しようとするような強い力が学校に登校することを妨げていたり、子どもがいくら頑張り屋さんでもその日限りでないいじめなどがあれば、学校に行かせないほうがいいケースの子もいます。なかには大人の事情で信じがたい障害が立ちふさがり、ママも子どもも学校に行く意思を持っていても味方もおらず、その気持ちを踏みにじられることがあります。教育現場と言えども、世の中には理不尽で不誠実で汚いこともたくさんあります。そんなときは、闘っても良し、そして逃げても良しです。そこで悲観的になり、転落すれば、大人の事情の餌食になり、相手の思うつぼです。くだらないことを相手にする労力を未来に投じてもいいのです。

どちらにせよ、その怒りを原動力に、もっと大きな宝の山を登る作戦を練って、いつか見返してやりましょう。

〇行けるのに行かない子そして未来に自暴自棄になる子

学校に行きたくない、行けないと言う子どもの中にも、学校に行けるし、学校に行った方がいい子どももたくさんいます。

関わった子達の中にも、私は行った方がいいと思うのになと思っていた子たちがいて、その子達が大人になって、八方ふさがりになってしまっているのをみてきました。

不登校にとどまる子の周囲の大人はこどもが変わる必要があると思っていることが多いです。反対に不登校になっても復活できる子の周囲の大人は自分が変わることに労力を惜しまないことが多いです。

不登校になる前の、あるいは不登校でも好ましくない声掛けは、

親が社会のルールのように勝手に許可する意味での「行きたくなかったら行かなくてもいいよ」

一緒に考えることを面倒に思い、責任放棄する形での「したくなかったらしなくていいよ(好きにしたらいいよ)」

将来のリスクと向き合わない無責任さからの「勉強なんてしなくていいよ」

いつまでも自分が世話をできると(生きていると)思い込んでいて、子を子どものままにしておきたい、いつまでも子を自分の支配下に置く甘やかしからの「行きたくなったら行ったらいいよ」

後先考えない交換条件でその場をしのぐ、手っ取り早さを重視した形の「〇〇してあげるから学校に行きなさい」

こどもの未来を考えることよりも自分の心の痛みと不安と向き合うことを避けて自分の心の保護・自分の体裁を優先した場合での「学校に行かなくても死にゃしない」

阻むものもなく、環境にも恵まれていて、先生たちも協力的で熱心で、学校に行けるはずなのに学校に行かないで、甘やかし飽和状態で家で好き放題にして遊んでいる子に必要な言葉は、その子の未来を守ろうとする強い意志からあふれる厳しい言葉です。

時間は守るよ

約束は守るよ

ダメなことはダメ

挨拶はちゃんとするよ

やるべきことはやるよ

人が人生を豊かに生きていくためにはこどもの頃にたくさんの愛情を注いでもらい、安心感を与えられ、たっぷり遊んだ経験が必要です。ですが社会に触れ、親が付き添えない集団生活に入るころになると問題が現れてきてそれだけでは不十分だったことが露呈してきます。責任感や社会のルールをちゃんとしつけてもらってきたこどもは不登校になっても、親がしっかり愛情を注ぎ、不登校のきっかけとなった問題をある程度、大人たちが協力し合い、環境がいびつであった場合には、その環境をある程度整え改善を試み、親が適切なかかわり方をすれば、早い子で1日、時間がかかる子でも数週間で動きがあり、数カ月で復活します。ですが、ペットのように可愛がり、自己満足の甘やかしを繰り返す過保護、恋人のようにべったりで捨てられないためにこどもの言いなり服従、召使い、あるいはまったくこどもに無関心でなんにもしつけをしないほったらかし(親は自分は放任主義なのだと勘違いしている)でこどもを育てると、こどもは世界は自分中心で回っているような考え方と生き方しかできないようになるために、思い通りにならない自分以外の人間、ルールやモラルがある社会に対し、非常に高いストレスを感じ、さらに恨みや憎しみを感じるようになります。あるいは同年齢のこどもよりも精神年齢が低く、自分で年齢相応にできることをほとんどさせてもらってきていない分、自分ひとりでできることや自分で考えること、状況判断、自主的に行動することが難しく、ひとと協調することやひとの気持ちを察することが苦手なために人といることに過度に疲れやすくなります。どちらの子も恥をかくことや失敗経験が多くなり、自尊心がどんどん低下して人前に出ることが怖くなってしまいます。そして「一人のほうが楽」「家にいたほうが楽」という結論となり、不登校や引きこもりに行きつき、とどまることになります。幼い頃から時間をかけて身につけてきた、わがままで自己中心的、自分勝手といった性格は、大きくなってからそうそう、直せるものではなく、直そうとするならば本人も周りも相当な労力を要します。

◎学校復帰(社会復帰)のコツは学校(仕事)に行っているのと同じようなタイムスケジュールで生活させること。

学校(職場)でできないことは家でもさせないこと。

◎不登校(引きこもり)にさせないためには

自分の部屋でネットやテレビを使用させないこと

リビングでの使用時間を時間数ではなく、『〇時から〇時まで可』と決めておくこと

不登校(引きこもり)のときには自分のことは自分でさせる事(自宅で学校と同じ生活をしているなら少し緩和してもおっけー)例・自分の洗濯、自分のご飯の支度・自分の使ったものの片付け

例 小学生 行き渋り(不登校)があるとき

前日の夕方からが勝負!!

1・前日の夕方からニコニコママを務め、夜はしっかり楽しく一緒に遊び、いつもよりも30分以上早く寝る。

睡眠時間を重視しているわけではなく、心地よく眠りにつき、いい夢を見られることが目的なのでお布団に入っているなら充分。無理やり眠らせようと焦らない。

2・ひとしきりじゃれてくるのにも付き合う。

3・いよいよ眠りにつく前にこどもが選んだ目覚まし時計をこども自身にセットさせる。いつもより30分早くセット。

4・「明日は何分に起きるんだったかな~?」と茶目っ気たっぷりで聞いてこどもに言わせ、「そう!偉い!〇分だね?!よし!じゃあ、お休み~!ぐうぐうぐう」と言って寝る。楽しければいいので絵本を無理やり読む必要なし。

5・朝目覚ましが鳴っていても止めずに放っておく。

6・こどもが止めたらすかさず間髪入れずに「えらい!!!おはよう~!!」と言って、体をガサガサゆすり、

「おっはようございま~す!!」とほっぺを両手で挟む。あったかいので気持ちいい。手が冷たくても問題ない。

「あー冷たい冷たい!」と言ってふざける。少々こども返りも最初はオッケー!

7・いっちに~いっちに~と一緒にノリでリズムに乗って支度。

絶対怒らない・絶対に焦らない。全部褒める。時間に間に合わなくても今は気にしないが、

言葉では「お~こんな時間だ!いっそげいっそげ!」と楽しく動き、遊びにしてしまう。

8・「トイレは?」「もっと食べなきゃ!」など言わない。したくなったらする。食べたかったら食べるし、今の時代、栄養不足になんてならない。どうしても気になるならプリンなど食べやすく好きなものを用意しておくが「〇〇あるよ?」としか聞かない。聞くのは一回。いらないといわれたらあっさり引く。

9・「さぁ!いくぞ~!いってらしゃ~い!」とノリで送り出す。または「さぁ出発だ~!」と一緒に歩いて学校に行く。

10・校門でさよなら。協力してもらえるなら先生にさりげなく校門で用事をしているふりをしていてもらう。

たまたま会ったかのように「あっ!せんせい!おはようございまーす!」といってこどもを渡し、さっさと帰る。いつまでも手を振ったり、みていたりしない。サッと消える。先生にはこどものいないところで事前に丁寧にお願いして打ち合わせをしておく。お礼もしっかり言っておく。先生を大事にする。

※こどもの前で、こどものことでのあいさつや、近況報告、こどものことを話さない!!

11・こどもが家に帰ってきたら元気よく「おかえり~!!」と嬉しそうに迎え入れ、普通に楽しく過ごす。

絶対に「今日どうだった?」などと聞かない。一切聞いてはいけない。

話してきたときだけ、「そう。そうなんだぁ」とあいづちをする。“あなたのお話を聞くのはとても楽しい”の非言語的表現をする。こども8割親2割の割合でおはなしする。親は「聴く」に徹する。

※アドバイスしない・いい言葉を言おうとしない・いい人になろうとしない・批判しない・否定しない・話に出てきた相手を非難しない、相手をかばわない・先生の悪口を絶対に言わない・「先生に言っとくね」を言わない

☆ちょっとしたアイデア 

寝る前に一緒にストレッチをして楽しむ

朝ラジオ体操をする

あくまでも遊び感覚で。途中でプロレスごっこになっても大歓迎。

運動することが目的ではない。一緒に楽しむ、一緒に遊ぶが目的。

〇「学校に行きたくない」をエラーのサインと受け止める

「学校に行きたくない」ということは、それが軽度であっても、なにかしら、こどもの毎日のどこかにズレが起こっているということです。

「ま、いいか」と見逃さないことは大事です。

ワガママ、気まぐれでも、日常生活の愛情のやりとりに不都合があるのかもしれないですし、子どもの責任感や我慢の力に耐久度をつける必要があるのかもしれません。

軽度であるなら、早く気づけたことはとてもありがたいこと。

エラーは小さい方が修復しやすいです。小さなほころびのほうが縫いやすく、綺麗になおります。早い!簡単!綺麗!です。

子どもの心も同じです。子どものサインをきっかけに子どもを様子を見て、必要なかかわりをしっかりしてください。

✖「べつにどっちでもいいよ、行かなくてもいいよ」〇「どうしてなのか教えてくれる?」

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